組織開発や人材開発に関する雑感~外部コンサルや事業会社などの視点から~

組織開発や人材開発に関する日々の雑感を不定期で投稿しています。大学の研究員▶︎スクールビジネス▶︎研修会社と人事コンサルを経て、事業会社で組織開発の仕事をしています。

行動習慣はプロフェッショナルとしてのスタンダード

日々、人材開発に関わる中で、遭遇率の高い言葉の1つに「行動習慣」というものがあります。

例えば、研修やセミナーを設計する時、コンテンツ自体の質は勿論ですが、受講後、対象者の行動がどう変化するのか、そして、その行動が習慣化されるには、どうすれば良いかまでを考えます。

職場での行動を習慣化することは、極論、職場(現場)にお任せするしかないのですが、それでも、行動習慣を意識するとしないとでは、研修などの側面支援も、その内容は変わってきます。

(いわゆるアクティブラーニング、対話型学習、反転授業などは、習慣化を意識した形の1つとも考えられるのではないでしょうか)

さて、この行動習慣がなぜ重要なのか、を考える時、ある作品の場面が頭に浮かびます。

原作:城アラキさん(漫画:長友健篩さん)の「バーテンダー」という作品です。

その中で登場するホテルバー(ラウンジと言った方が良いでしょうか)で、若いバーテンダーが、なぜ、お酒を入れる順番やボトルの持ち方など、カクテルの味には直接関係なさそうな『スタンダード』が存在するのか悩む場面があります。

その問いに対して、先輩であるチーフバーテンダーが、こんな話をしています。

※以下、作品中の台詞を引用します

『人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しくなると言います。背筋を伸ばし、無理に笑顔を浮かべているうちに同様した心が落ち着くことがあります。人は習慣に身体を委ねることで、時に心の強さを乗り越えることができます。プロなら乗り越えねばなりません。スタンダードとはそのためのものです

 

これが、行動習慣を持つ大きな価値の1つだと感じます。

どんな仕事であれ、プロフェッショナルであることとは、「継続して成果を出す」ことと言ってよいと思いますが、それは簡単なことではありません。 

身体や心の調子が悪いと、どうしても普段のパフォーマンスを出すことは難しくなります。そんな時、助けとなるのが、自分の中にあるスタンダード(行動習慣)です。

 

日々日常のトレーニングの結果、例えば、論理的に観点を言語化することや、会議前に意思決定者へヒアリングすることが、習慣化しているとします。

このようなスタンダードが自分の中にあると、心身の状態に関わらず、身体が習慣通りに動くことがあります。

勿論、全く無意識で動くという訳ではないでしょうが、比較的無理なく(自然に)行動することはできます。

このように習慣化された行動は、「パフォーマンスのブレ」を補正する機能を有しています。

プロフェッショナルとして、自分の中にスタンダード(習慣化された行動)を如何に身につけるか。それが、継続した成果につながる重要な要素だと感じます。

 

では、その行動の習慣化はどのようなプロセスを経て身につくのか?

それは、別の機会に考えてみたいと思います。

 

 

個人が成長するための一丁目一番地②

前回の記事で、人が成長する第一歩は自己認識だと書きました。

 

そして、人が適切な自己認識を持つために必要なことは、『信頼出来る他者』と『日々の対話とフィードバック』というところで記事を終えました。

 

今日はその続き、なぜ、上記の二つが重要なのかを考えてみたいと思います。

 

まず、人が何をきっかけにして自己認識するかについて考えると、これは大半が、「他者とのコミュニケーション」と言って良いと思います。

 

職場の上司や同僚とコミュニケーションする中で、鏡越しに自分を見るように、他者から見た自分に気づかされる。それは、何気ない対話の時もありますし、耳が痛い指摘(フィードバック)を受ける場合もあるでしょう。いずれにせよ、人は他者とのコミュニケーションを通して、自分を客観視します。

 

 次に、そのコミュニケーションを要素分解してみます。

コミュニケーションは、

・何を言うか(what)

・どんな言い方をするか(how)

・誰が言うか(who)

 の3つに分解できます。

※他にどんなシチュエーション(where)もありますが、今回は上の3つに分解します

 

さて、ここで冒頭の『信頼出来る他者』に話を戻します。

特に当人が気づいていないことに関してコミュニケーションを行う時、「誰が言うか」が重要になります。

 

その理由は単純です。人は信頼していない人からの発信や指摘は、素直に受け取れないからです。

それが、認識していない自己に関することであれば、尚更です。

組織内でも、例えば上司/部下間で、「言っていることは理解できるが納得できない」、「言われた内容を曲解する(発信者の意図通り伝わらない)」、「そもそも信頼していない人からの指摘は受け取りたくない」ことが多々あります。

それが当人の自己認識を阻害し、結果、成長の速度を鈍化させます。

マネジャーの視点で考えると、それは部下がワークせず、チームのパフォーマンスを鈍化させることになります。

誰しも、これまで培った経験、認識、感情がある以上、「言われたことを素直に受け入れて、認識する」ためには、「誰からそれを言われるか」が重要です。

 

次に、『対話とフィードバック』がなぜ重要かについて考えます。

 

理由の1つはこれまで記載した通り、人は他者とのコミュニケーションを通して自己認識するためです。

文章などで伝える場合もありますが、どうしても文字にすると、先ほどのコミュニケーションの要素の「伝え方(伝わり方)」に制限がありますし、文字は内容がそのまま相手の頭と感情に刺さるため、耳の痛い話は少々インパクトが大きい場合があります。

他者にフィードバックを行う時は、文字で伝える場合であっても、口頭で補足をするのが良いと思います。

 

もう1つの理由は、「信頼関係は対話の量に比例する」ためです。

バケツ理論というものがありますが、要するに人はお互いのことを良く知っている方が相手を信頼します。そして、お互いを良く知る、いわゆる相互理解は、対話を通して深まっていきます。

 

信頼できる他者と、日々の対話とフィードバック。

直接、且つ、短期的に成果につながる行動ではないため、優先度が下がりがちな部分ではありますが、個人が成長するためには、また、組織が中長期的に成果を出すためには必要不可欠だと感じます。

個人が成長するための一丁目一番地①

個人が成長するための第一歩(一丁目一番地)は何でしょうか?

 

結論からお伝えすると、それは、成長する当人が適切な「自己認識」を持つということだと思います。

 

ここでの『適切』な自己認識とは、その当人の現パフォーマンス(出来ることや保有する技術/知識の総量)が、何かを達成するために不足している、または、現状を維持するだけだと、周囲の期待や環境に対応できなくなる、ということを、当人が認知することです。

これは、組織における人材開発に限らず、個人が人生において成長する全ての機会に言えることではないでしょうか?

では、なぜ、自己認識が重要なのか? 

以前の記事に、「人材開発は現状と理想を言語化し、その差分を埋めること」 と書きました。

その第一歩は、現状の適切な理解であり、人は現状の自分を受け入れ、理想との差分を埋める必要があると納得しないと、継続的な自己成長に取り組めません

 

その納得感がないと、どんなに芸術的なカリキュラムや育成施策を用いても、それらの効果は鈍化しますし、いずれ当人達の「やらされている感情」が強くなり、自己成長の取り組みそのものに背中を向けてしまいます。

私自身、過去、何度も失敗しましたし、今も試行錯誤の繰り返しです。

 

ある個人が成長のために、自らの現状を認識することは本当に難しいです。

では、なぜ、人は適切な自己認識を持つことが難しいのでしょうか?

 

私なりに感じる理由は、2つあります。

①そもそも、人は自分自身のことを客観的に認識することが難しいため

②自己認識を持つことは、「出来ていない自分」を受け入れることであり、それには傷が伴うため

 

①については、人には自我と主観がありますから、100%自分を客観視できないことはイメージしやすいかと思います

②についてですが、昔、あるセミナーで、人の成長は3K(傷つき、気づき、築き上げる)だと聞いたことがあります。

自己を認識する(気づく)ために、人は多かれ少なかれ出来ない自分を受け入れる(傷つく)ことが求められます。

当たり前のことですが、人は傷つきたくありません。

人が当然持っている『自己防衛本能』が、困ったことに成長のための自己認識を妨げます。

では、これらを克服し、適切な自己認識を持つには、何が必要なのか?

 

それは、『信頼出来る他者』と『日々の対話とフィードバック』です。

この続きは、次回の記事で考えてみたいと思います。

 

「人材開発」を一言で考えると?③

初回の記事で、人材開発を一言で考えると、

 

一つは、『パフォーマンスの最大化』もう一つは、『課題解決』

 

だと書きました。

 

 

今日は、人材開発と課題解決に関して考えたいと思います。

 

なぜ、人材開発が、『課題解決』と書いたか、ですが、結論からおはなしすると、課題解決と人材開発の手法が同じだからです。

 

課題解決とは、「あるべき姿」と「現状」を言語化し、その差分を埋める行為ですが、人材開発も同様です。

 

例えばある個人の育成を考える時、まず行うのは、ゴール(あるべき姿)の言語化、または、その人の現役割や能力(現状)の言語化です。

 

その時、少しだけ無理をした(ストレッチした)「あるべき姿」を言語化/設定し、それをどう達成するか(つまり、どう差分を埋めるか)に関して、具体的なアクションまで落とし込み実践する。

そのプロセスの繰り返しでひとは成長します。

 

このプロセスを当人独力で成立させる事は難しいと思います。なぜなら、人は周囲の力を借りて始めて、自分のあるべき姿や現状を客観視出来るからです。

その意味で、普段当人を見ている組織上長の役割は重要です。

組織上長各位は、目標設定などのタイミングで、ぜひ、ここに部下との対話時間を担保して頂きたいです。

 

人事制度としてはMBOやOKRをイメージして頂くとわかりやすいかと思いますが、ここまで書いた通り、課題解決と人材開発は、同じプロセスを辿ります。

 

つまり、組織における課題解決や組織貢献は、全て社員の成長に直結するのですが、案外、そこの意識が欠けがち、もう少し踏み込むと、それらが同義であることを上長と当人が認識し、合意しながら職業生活を過ごしている例は多くないのではないでしょうか?

 

この話を突き詰めると、事業(組織としての目標を達成すること)と、組織(社員のパフォーマンスを最大化し、成長を促し、キャリアの一助にもすること)の両面が、統合できるのではないと感じます。

 

ここまで書いた育成プロセスを実践する際にまず出会う壁は、そもそも、あるべき姿と現状、そして、差分を埋めることの言語化が難しいということです。

日々、組織上長やメンバー各位の支援をする中で、本当にこれらの言語化は難しいと感じます。

いわゆる昔ながらの受験ビジネスであれば、(それが模試に参加する母数の相対であるとは言え)『偏差値』という数値で出ますので、理解しやすいです。

その意味で、旧来的な偏差値による高等教育(ここ10年、受験ビジネスも変化してします)は、誰にも伝わる共通言語があるという意味で、定量的に判断しやすいかもしれませんね。

 

それが、ビジネスの世界、組織で働く社会人になるとそうもいきません。

複雑性が高く、また、数値だけで判断できない環境も多々あります。

 

では、その難しさをどう克服するのか?

 

そのヒントは、上位計画の明確化、上長とメンバーの相互理解、対話量の担保辺りにある気がしますが、また、別の機会で書いてみたいと思います。

 

 

「人材開発」を一言で考えると?②

前回の記事で、人材開発を一言で考えると、

 

一つは、『パフォーマンスの最大化』もう一つは、『課題解決』

 

だと書きました。

そして、人材開発に携わる上で、常に「この人に求められているパフォーマンスは何でだろうか?」と考える、思考の条件反射が重要とお話しました。

 

今日は、そのパフォーマンスの最大化について、もう少し考えていきたいと思います。

 

パフォーマンスの最大化。。。

ものすごく、抽象度が高い言葉です。

これだけで終わると、『いや、それはそうなんだけどさ、、』ってなりますよね。

 

日々、組織の人材開発を考える中で、私が、ある個人へのアプローチを考える時、

どんな順序で考え、言語化しているかを振り返りました。

 

組織の、ある個人への育成アプローチを考える時、まず、パフォーマンスを3つの軸で考えていると思います。

 

①その人に求められる数値化できる成果は何か?:数値への貢献

②その人に求められるアウトプットや成果物は何か?物事への貢献

③その人の影響で、周囲の誰がどんな言動をすれば良いのか?:人への貢献

 

その「ある個人」が組織マネジャーの場合は、①と③が主になるでしょうか。

 

その上で、上記の①②③を実現するために

 

A.その「ある個人」は、どんな行動習慣を身につければ良いのか?

B.どんな、技術、知識を身につければ良いのか?

C.思考、価値観を醸成すれば良いのか?

D.当人へのどんな機会提供があれば良いのか?

E.当人へのどんな周囲からの関わりがあれば良いのか?

 

を考えます。

 

この時、C.は実際、あまり重要視しません。

人材開発の世界でよく言われるように、人の性格や価値観は直接変えることはできず、行動習慣を実践した結果でしか変化しないからです。

(よく、「こういうスタンスを醸成したい」とオーダーを頂きますが、その時は、まず、「スタンスは直接変えられませんので、行動を変えませんか?」と提案します)

 

逆に重要視するのは、A.はもちろんですが、D.とE.です。

 

人は機会(経験)を通してしか成長せず、更にそれを独力で行うことが難しく、他者の関わりが必須だからです。

 

いわゆるスポットの集合研修をデザインする際、A.は前提としても、B.やC.にフォーカスしてしまうことがあるのではないでしょうか?

※それはそれで価値があるとは思いつつ、やはりパフォーマンスの最大化を考えると、やや遠回りな気はします

 

スポットの集合研修に限らず、あらゆる育成施策において、A.からE.までを検討しデザインする事で、そしてそれを取り組むことに組織のステークホルダーの共感を得る事で、より効果効率の高いアプローチになると感じます。

 

 

「人材開発」を一言で考えると?

十数年、広義での人材育成の仕事に携わっています。

 

大学の研究員▶︎スクールビジネス▶︎研修会社と人事コンサルを経て、事業会社で組織開発の仕事をしています。

不定期の更新ですが、もし何かの機会に読んで頂くことがあれば、何しらのご参考になれば幸いです。

※数分で読んで頂ける文量にしようと思いますので、一回の投稿で完結しないこともあると思います。その点、ご了承ください

 

初回は、「人材開発」という言葉に関して考えてみたいと思います。

仕事がら、人材を開発するということは何か?と日々考えます。

「人材開発とは?」という問いに対して、出来るだけ完結に答えるとすると、

自分の頭に浮かぶ定義は二つあります。

※定義はこれだ!とバシっと言えず申し訳ないです

 

一つは、『パフォーマンスの最大化』もう一つは、『課題解決』です。

 

まず、『パフォーマンスの最大化』に関してですが、人材開発に携わる人間は、その支援対象である個人のパフォーマンスに貢献すべきだと思います。

 

研修や育成施策の効果測定としては、カークパトリックのモデルなどが有名です。

そのモデル自体も(究極的には業績貢献が軸になっているので)、ものすごく難易度が高いと思いますが、人材開発の担当者は、施策(というか自らの)関わりの結果、対象者のパフォーマンスが向上したのか?それをどう定量/定性で測るのか?に対して、頭に汗かくべきではないかと感じます。

 

その意味で、人材開発担当者が担う責任は、施策対象者の組織上長と変わらない、というぐらいの意気込みが必要なのでは?と日々、感じます。

※もちろん、OJTにおける育成責任の主従が組織上長と逆転しては本末転倒なので、そこは注意が必要かとは思いますが、、

 

何かしらの育成課題が発生した時に、どうしても「どんなスキルをつけるか」「どんな知識をつけるか」が前に出がちです。または、課題のようには聞こえるが、抽象度が高すぎて、要するに何が課題なのか言語化できていないことが、とても多いです。

 

そのような時、外部(BtoBなど)/内部(自組織の育成など)関わらず、人材開発を業としている立場として、「この人に求められているパフォーマンス(そして、その結果としての成果)は何だろうか?どういうアプローチをすればそこに到るのだろうか?」が、まず、頭に浮かぶでしょうか?

私見ですが、それがまず頭に浮かぶ「思考の条件反射」が、とても、重要だと思う今日この頃です。

 

次回は、本テーマの続きについて、雑感を書いてみたいと思います。